1974(昭和49)~1983(昭和58)年度オイルショックの余波、新カリキュラムに移行1974.…4.…1電子計算機室開設 情報処理教育が本格化1976.…9.13……………………14編入試験開始1976.10.…1長岡・豊橋技科大開学(1977年度本校から6名が編入学試験合格、1978年度から編入)1978.12.27第2体育館新営1979.…4.…1第4代校長に津田覺(元広島大学工学部長)着任1980.…7.28~………………8.…2初の公開講座「中学生コンピュータ教室」(前期・後期各3日)1980.11.20マラソン大会が暴風のため中止(翌年廃止が決定)1981.…2.…7推薦選抜開始1981.…5.30校舎(普通教室)新営1975.4…ベトナム戦争終結1976.7…ロッキード事件1979.1…国公立大学の共通一次試験開始1979.12…ソ連のアフガニスタン侵攻1981.12…米子~東京間にジェット機就航1982.7…伯備線・山陰本線(伯耆大山~知井宮)電化1983.7…ファミコン発売日本・世界の出来事創立10周年記念式典1980年の校舎 1973(昭和48)年のオイルショックは産業界に大きな打撃を与えた。1974(昭和49)年の求人数は過去最高だったが、翌1975(昭和50)年からは厳しい就職事情が続いた。企業の冷たい応対に接した就職担当の教員の苦労が過去の年誌には記されている。大企業が求人を控えたため地元の中小企業、公務員などの志望が急激に増えた。1979(昭和54)年以降景気の回復とともに再び求人数は増加していった。 1976(昭和51)年度から工業高校からの編入学試験を実施し、同年度は機械工学科、電気工学科、建築学科に各1名が合格した(入学は翌年度)。 1977(昭和52)年7月に新カリキュラムに移行することが決定され、1年生に4月にさかのぼって適用された。これはゆとりある教育も目的に、数年来検討・施行されてきたものであった。授業時間数が190から180に減り、高学年には選択制が導入された。新カリキュラムに合わせて「学業成績の評価及び課程修了の認定に関する内規」が制定された。10月には次年度に開校する豊橋・長岡の両技科大への編入者が決定し、既に高専卒業生の編入学を実施してきた諸大学に加え編入学の門が広くなった。 開校以来の伝統行事であったマラソン大会が、1980(昭和55)年は暴風雨のため中止となった。翌1981年は予定されていたが、道路事情・交通事情の変化により、コース変更が必要となり、廃止が決定された。Yonago National College of Technology 60th anniversary11
元のページ ../index.html#13